東京公演抜粋

Performance in Tokyo (excerpts)

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[db-ll-bass]プロジェクトについて

[db-ll-bass]は、演奏という行為を身体表現として見たコレオグラファーと、音と音楽の宿る源泉を演奏する身体に求めた演奏家が、制度化された楽器と身体の関係を再検証し、新たな表現領域を探求しようとしたプロジェクトです。

 

トルコのコレオグラファー、アイディン・テキャルと、コントラバス奏者・河崎純の出会いは、2010年10月、イスタンブールのiDANS国際コンテンポラリーダンス・パフォーマンス・フェスティバルで、河崎が出演する「Sound Migration – わたりゆく音」(国際交流基金制作)が初演された時でした。強固な異質性を有する日本とトルコの4人のミュージシャンと女優・美加理氏が、マイグレーション(わたり)と変容という視点から、即興を軸にした音楽とムーブメントにより共同創作したこの作品は、イスタンブールの後、トルコのイズミル、カイロとブダペストを巡演し、翌2011年2月に東京と横浜でも上演されました。そのイスタンブール初演でテキャルは、等身大のコントラバスと一体になるかのような河崎の独特の演奏スタイルに関心を持ち、公演後ただちに楽屋にやってきて、あの演奏家と一緒にぜひ作品が作りたい、と申し出てきました。

 

その後実現に向けて動き、2011年6月に東京での第1回作業を計画しましたが、3月の東日本大震災により延期となり、9月にイスタンブールでの実施にこぎつけました。テキャルはトルコのコンテンポラリーダンスのパイオニア的存在として知られ、国際的に注目される作品をいくつも発表していますが、その特徴は身体の独創的な動きとミニマルなスタイルにあります。人間の骨格構造の研究を経て確立した独自のメソッドでダンサーに一定の動きを繰り返しトレーニングし、身体の可動性を極限まで高め、そこから新たな動きを導いていくプロセスは実に緻密で、トレーニング期間に1年を費やすこともめずらしくありません。河崎にとってテキャルとの作業はまずは自分の身体を学び、正しい身体の使い方身につけていくことでしたが、これはダンサーの身体を持たない河崎にとってもテキャルにとっても忍耐を要するプロセスでした。この作業は同時に、歴史的に承認されてきたコントラバスと身体との関係を見直すものでもありました。たとえば、楽器と身体を可能な限り離してみれば、逆にぴったりコンタクトしてみれば、あるいは楽器を逆さに構えてみれば、その時、身体はどう使われ、身体と楽器の間にどういう関係が生まれるのか。当然のことながらこの行為には音(音楽)が伴うことであり、身体と楽器と音の関係を探る作業は繊細で時間のかかることでした。これは、翌2012年1~2月に日本で行った第2回の作業でも執拗に繰り返されることになります。

 

 

第3回の作業は2012年の9~10月。それまでの継続でいろいろなことを試し、練習し、取り込んだり捨てたりが繰り返されます。その過程でテキャルはじょじょに河崎に動きの精度を求め、演奏者であると同時に自らの作品の作曲者でもある河崎は、動きから音楽を生成していかなければならない ― そのせめぎあいの中で残った要素を作品として構成したのがイスタンブールでの初演でした。

 

初演は2012年10月11日、トルコを代表する国際ジャズフェスティバルであるアクバンク・ジャズフェスティバルで行われました。音楽フェスでありながらこの作品だけがコンテンポラリー・ダンスの拠点会場であるガラジイスタンブールで行われるということが、この作品の特殊性を予告することになり、観客は音楽とダンス双方で、評価はそれぞれでした。作品としては、圧倒的な時間の不足を前に音楽よりもフォルムの造形に優位を置かざるをえず、 音楽的な構築が満足いくものでなかったことは確かです。

 

そんなこともあって、日本公演を控えてテキャルは、音楽からのアプローチで作品を創りなおしたいと考えました。そして河崎に、ベースになる音楽素材を用意してほしいとリクエストしました。その素材を身体からのアプローチで展開していきたいと考えたのです。

 

しかしながら、1年以上にわたる積み上げの中で、演奏(音楽)と身体を切り離すことが意味をなさなくなっていた河崎にとって、あらためて音楽からとするのもまた戸惑いでした。そしてまた、用意した音楽的フレーズを解体することで展開していくというテキャルがイメージした方向は、河崎の音楽の創り方と相入れないものでもありました。しかも、日本公演のために2人が一緒に作業できるのはわずか2週間でした。

 

実際、この2週間は2人が不安定さと不安を抱えた日々であり、緊張の糸が切れそうになることがいくたびもありました。横浜での日本初演は、そんな状況の中で行われました。自らの身体と自らの楽器に対して誠実であろうとした河崎のパフォーマンスは、観客によってさまざまな見方をされましたが、ダンスとして見ようとした観客からは、河崎の私的空間に過ぎるとの批判も伝わってきました。

 

1日置いて東京公演。長い道のりが一応の終焉を迎えようとしていましたが、この日になってテキャルが突然、ややシアトリカルな要素を盛り込もうとしました。あまりに突然の変更は河崎に混乱と疑問をもたらし、開演ぎりぎりまで調整と対立が続きました。しかし、それは振り返ってみれば、ダンス・ディシプリンを持たない<普通の身体>の演奏者が楽器を離れた時、無音の中で自らの身体とどう向き合うのか、そこに観客を意識した演出は介在するのか、という私たちがあえて置き去りにしてきた問題に踏み込んだ瞬間でもありました。ひたすら身体のフォルムを追求してきたテキャルにとっては、かすかな変更が大きな冒険だったに違いありません。この性急な試みがどれだけ観る人に影響したのかわかりませんが、この先にまだなにかがあるという予感を私たちの心にひそかに刻んだことは確かです。

 

イスタンブール、横浜、東京で発表した3つの作品は、フォルム優位、音楽優位、未整理ながらシアトリカルな要素を含むもの、という、私たちが歩んだプロセスのドキュメント的な様相を呈していたと思います。作品自体の変遷もありますし、作品に何を見ようとするかで観客の感じ方がひとりひとり大きく異なったことにも、プロジェクトの複層的な性格が反映されていたと思います。

 

この1年半で探求し、実践した様々なこと、考えた様々なことは、今後も視点と方法論を変えながら継続していく予定で、その時はあらためてご報告いたします。

 

最後に、本プロジェクトに助成くださったセゾン文化財団とアサヒグループ芸術文化財団、公演を主催してくださったアクバンク・ジャズ・フェスティバルとTPAM in 横浜実行委員会、そしてプロジェクトを支えてくださった多くの個人の方々に心からお礼を申し上げます。

 

2013年5月

 

Kiki Arts Project  畠由紀

 

◆アイディン・テキャル   ホームページはこちら


トルコのコレオグラファー。同国コンテンポラリーダンスのパイオニア的存在として内外に知られる。

 

アンカラ国立コンセルバトリーでバレエを学び、卒業後、アンカラ国立オペラ・バレエ団でダンサーとして活動。76年に退団し、ロンドン、次いでニューヨークに渡り、ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツで芸術学士号と芸術修士号を取得。82年に帰国し、イスタンブールのミマールスィナン大学でモダンダンスを教え始める。

 

サイトスペシフィックな作品の創作に打ちこんだ時期を経て、自分自身の身体を知って有効な動きを繰り返しトレーニングすることで身体の可動性を高める、フェルデンクライスメソッドなどに関心を移す。97年に再びアメリカにわたり身体構成理論を学び、帰国後は、ダンサーとの長期にわたる緻密な身体作業を通して身体の自由と独創的な動きを導くという、ミニマル的なスタイルを築く。

 

そうした独自の方法論による作品は、ヨーロッパを中心に世界各地のフェスティバルで上演されている。「aKabi」(2005年Haus der Berliner Festspielenite初演)では、高さ35センチもの不安定な履物をつけることで身体の自由を奪われたダンサーの極限のバランスが生み出す美しさが話題となり、「harS」(2008年Kunstenfestivaldesarts初演)では、ダンサーと、ダンサーの身体の拡張としてのハープが創り出す共生空間が高い評価を得た。最新の作品「3つの位相」(2012年5月、イスタンブール演劇祭で初演)では、2人のダンサーが平台に乗り、その位相が変化することで、身体をコントロールする2人から、予期しえぬ多層的な関係ー2つの身体の関係、身体と台の空間的関係、2人の思考の関係、さらには2人の女性そのものの関係ーがあぶり出された。

 

現在、ミマールスィナン大学の舞台芸術学部ディレクター、モダンダンス学科長を兼任。



◆河崎純   ホームページはこちら

Jun Kawasaki

コントラバス奏者、作曲家。身体的とも言える即興演奏が、聴く者、見る者に強いインパクトを与える。 

 

1975年生。コントラバスを齋藤徹、吉澤元治に師事。1996年来、ハードコアロックで知られたバンド・マリア観音、ギタリスト・ボーカリスト国広和毅とのダた、ボーカリスト柴田暦とのuni-marca、即興音楽集団・EXIAS-J、パーカッショニスト・故今井次郎等とのaujourd'hui il fait beauに参加。2012年からはギターの小沢あきと「ブレヒト/ロルカ」シリーズも続ける。

 

また、最近は、ロシア・アウトカーストの唄を歌う石橋幸とライブを続けたり、ロシア即興音楽界の大御所セルゲイ・レートフと共演したり、モスクワでコントラバスのウラジミール・ヴォルコフやダンサーと自作のパフォーマンス作品「砂の舞台」を発表するなど、ロシアとの関係が深い。

  

自身の演奏だけでなく、演劇・ダンスを中心にこれまで50本以上の舞台作品の音楽監督、作曲、演奏。主な作品に西川千麓「カミュー・クローデル」、ポルトB「ブレヒト演劇祭の約1時間20分」、静岡舞台芸術センター(SPAC)「大人と子供によるハムレットマシーン」、江戸糸あやつり人形座「マダム・エドワルダ」など。普通劇場(大岡淳主宰)の音楽監督も務める。

 

また、言葉を介在させた表現、うたや詩の朗読とのコラボレーションに力を注ぎ、詩人・原牧生とのユニット・打落水狗として、ゼミ「詩の通路」とワークショップ「いまからここで」を主宰。2009年からは自主企画のマンスリー・ソロシリーズ「震える石」も開始し、さまざまなジャンルのアーティストとの共同作業を続けている。 

 

海外での演奏は、ポーランド、アメリカ、台湾、リトアニア、スコットランド、ロシア、フランス、スイス、ウクライナ、トルコ、エジプト、ハンガリーなど。 

 

CDは、ソロ・アルバムに『左岸・右岸』と『ビオロギア』、ジャズ・トランペットや世界の民族楽器を駆使した音楽を展開する金子雄生とのデュオ・アルバム『ふたつの月』。